80年代シティポップがブームになる最中、今また注目を集めるシンガー、和田加奈子さんの名曲「パパのJAZZ」についてご本人に語ってもらったスペシャル・インタビュー!
「パパのJAZZ」
作詞:和田加奈子 作曲:TSUKASA 編曲:白井良明
日曜日の朝の夢 いつもJAZZが流れててた
小さなパジャマのまま 眠い目をこすると
コーヒー挽く香りと 大きなステレオとパパ
宝物をみつけたように レコードかけていた
グレンミラー サッチモ カウントベーシー
モノクロのジャケットたち
話しかけていた パパはもういない
大人の私の部屋には いつも流れてるパパのJAZZ
音楽を知ったとき パパをわかり始めてた
よくケンカをしていたのは 似ているパパと私
一度でいいパパの好きな曲
となりで聴いてみたかった
JAZZと恋のステキなお話 聞いてみたかった
一人の私の部屋には 今も流れてるパパのJAZZ
いつも流れてるパパのJAZZ
1985年にシングル「パッシング・スルー」でデビュー。1987年には、少年ジャンプで連載され、コミック累計2000万部を売り上げた大ヒット・アニメ『きまぐれオレジ☆ロード』の主題歌「夏のミラージュ」を歌い、大きな注目を浴びた。しかし、残念ながら1991年には、音楽の世界から退いた結果、実質6年という短い活動期間ながら、当時の音楽ファンたちにその姿を印象付けた彼女。
当時、まだ高校生だった私は、彼女が作曲家・アレンジャーとして知られる井上鑑氏のアシスタントとして出演していた、NHK教育テレビ(Eテレ)の『ベスト・サウンドⅡ』という番組でその名を知ることとなった。初めて彼女の歌声を聴いたのは、番組の企画で作られた「BOY」(作詞:和田加奈子、作曲:井上鑑)を歌っている時だった。彼女の歌声は印象的だった。特に、高音域を強く伸ばした時、微かにしゃがれるところにとても色気があり、ロック的なカッコ良さを感じていた。私は、すぐに彼女の歌声の虜となった。
そんな彼女が作詞した中に、「パパのJAZZ」という歌がある。今回はそこに引っかけて、このサイトの制作者・米田ならではのスペシャル・インタビューを、初めてのSPECIAL CONTENTSとしてお届けしようと思う。まずは、その「パパのJAZZ」について話を聞いてみた。
「父は音楽が凄く好きな人で、映画音楽とかジャズとか。昔は音楽を聴くための機材って、今と違ってステレオっていって、箱型の家具みたいに凄く大きなものだったんですよ。当時は家族みんなで寝る狭い部屋の空いている場所に、そのステレオが置いてあったんです。父はサラリーマンだったので、土日しか休めない。特に日曜日は朝からレコードを聴くのが趣味だったんですが、それは家族が寝ていようが関係なくて(笑)。スピーカーの近くで寝ていると、その大きな音で目が覚めるので、いつもパジャマのままいろんな音楽を聴いていた覚えがあります」
彼女が綴った歌詞の中には、グレンミラー、サッチモ(ルイ・アームストロングの愛称)、カウントベーシーといった、実在したジャズ・ミュージシャンたちの名前も出てくる。
「その辺は父が好きで、いつも聴いていた人たちです。レコードしか無かった時代で、レコードをかける時って、横にジャケットを立てかけるじゃないですか? そこに並んでいたのがその人たちだったんです」
その当時、お父さんが好きで聴いていたジャズという音楽を、彼女はどう感じていたのだろうか?
「幼い頃、なんとなく自分が聴いていて“これいい音楽だな”って思っていたのが、今思えばジャズだったんだなと思います。いろいろジャズだったり、映画音楽だったり、あとラテン音楽もあったんですけど、そこで誰が演奏してるというのをわかってなくて、「これ誰?」って、父に聞いた覚えがありますね」
そして、その後も当時の様子が伺えるような描写が続いて行く。それが、彼女がジャズと出会った頃のストーリーだという。
「この歌詞の内容が、その時のストーリーそのままなんです。ただ、ちょっと美しくは書いてますけどね(笑)」
その歌詞からも、彼女の話からも、当時の音楽事情というか、音楽を聴くということに対する背景、風景、情景が見えてくる。
「私がデビューして、まだしばらくはCDではなくてレコード盤だったんですね。で、だんだんとCDになっちゃって。ただ、父からレコードをもらってたりしたので、当時もまだ自分でもレコードをかけて聴いていたんですよ。その時は、そんなに大きなステレオではなくって、ミニ・コンポですね」

時代背景、時代の風景とジャズ、そんなものが彼女の話から見えてくるようだ。彼女は、ジャズに対してこんな風に想いを寄せている。
「ジャズは当時、簡単に歌っちゃいけないものだと思っていました。なんて言うのかな~? 凄く難しくて、簡単に手を出せる世界じゃないと思っていたので、やっぱりジャズって上手な人じゃないと駄目ってイメージがあるじゃないですか。私たちの歌うポップスとは、スピリチュアルな部分、ソウルが違うから、そう簡単には“私はジャズを歌います”とは言えなかったですよね」
私はこの媒体を通じて、若いジャズ・ミュージシャンたちと接しているが、彼女の言うように私たちの世代~40代後半から50代以降の人間にとっては、確かにジャズというのは難しい音楽、簡単には手が出せない音楽という印象を持っている人も多いかと思う。今の若者たちは、早くからジャズに触れ、良い教育を受け、いとも簡単に演奏してしまう印象がある。だが、その反面、誰でも簡単に手を出せる音楽になり、昔と今ではジャズを歌う、演奏するという意味が変わってきているのだろう。それは、いい意味でも、悪い意味でもだ。
「ジャズは聴いて心地よい音楽というのは間違いないし、ジャズは好きな音楽なんですけど、自分が歌うというのは、ちょっとまた別ですよね」
彼女ほどの歌手でも、実際に自分が歌うとなるとまた別物なのだと言う。多分、歌うというのと、楽器で演奏するというのではまた違うのだろうとも思うが、そこには彼女なりのプロのシンガーとしての自覚、プライドからくる言葉なのであろうと私には感じられた。正面向いて、歌うということと本気でぶつかっているからこその、その言葉は重いと感じる。でも、そんな彼女だからこそ、余計にこれからはジャズを歌っている姿も見てみたいと思うのだが。そう問いかけると、彼女からはこんな言葉が返ってきた。
「(ジャズを)たくさん勉強したら、自分でも歌ってみたいなとは思います(笑)」
そんな彼女に、昨今、精力的に活動する若いジャズ・ミュージシャンたちをどう感じるのか聞いてみた。
「ジャズは年齢とは関係ないし、私がジャズを聴いて最初にオッと思ったのも小学生くらいでしたからね。今若い人たちが積極的にジャズをやっているのなら、ぜひやって欲しいと思うし、でもその辺のジャンルって難しいですよね。私の音楽とか歌っていうのは、当時ニューミュージックとか、シティポップとかって言われていて、自分にとってはジャズは難しいと思ってしまうんです。でも、ジャズは好きなので、これから自分でも歌えるように頑張ってみますね(笑)」
最後に、昨年久しぶりに音楽シーンに帰ってきた彼女の心情を聞いてみた。
「35年振りに本格的に歌ってみて、本当は音楽が大好きだったのに、デビューしたのはいいけれど当時は何だか歌っていて悲しくなるようなことがあったんですよ。その辺で、歌うことに苦しんでしまってやめているので・・・。ただ、30年以上経ってから、そこに何か忘れ物をしてきたんじゃないかっていうような強い気持ちがあったんです。自分がけじめをつけずにやめてしまったという想いですね、自分自身に対して。それで、いろんな人から、「もう一度やって欲しい」という声を頂いて、それが今かなと思ったのが去年だったんです。でも、最初は本当に去年1回切りというつもりだったんですが、やってみると、そこからまたいろんな人から背中を押されて、私自身も歌ってみて凄い気持ち良かったっていうのもあって、それで年に1回くらいだったらという気持ちでスタートしたんです」
私のように、ずっと彼女の歌を聴き続けていた者にとっては、年に1回とは言わず何回でもやって欲しいと思うのだが、「そこは、声のメンテナンス的なこともあるので・・・」と少し声のトーンを落とされると、それ以上無理も言えないのが寂しいところだ。でも、昨今の80年代ブーム、シティポップのブームが彼女の背中を押してくれるんじゃないかと密かに期待をしている自分もいるのが事実だ。
彼女の歌を知らない若い世代の人たちも、今はYouTubeなどで、彼女の歌を聴くことも簡単にできる。もちろん、今回取り上げた「パパのJAZZ」もアップされているので、ぜひ彼女を知らない人たちにも聴いてみて欲しいと思う。
[ライヴ情報]
2025年10月12日(日)
Birthday Live-特別シートsceane2-
at 目黒Blues Alley Japan
https://www.bluesalley.co.jp/

Special Thanks:中島睦/池上尚志(音楽ライター)